〒732-0803 広島県広島市南区南蟹屋1丁目6-11(JR広島駅南口から 徒歩15分)
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浄土真宗本願寺派 僧侶
浄土真宗本願寺派 住職資格
本願寺派 布教使
学階 助教
基本情報技術者(大学時代は情報処理が専門)
浄土真宗本願寺派
高校生の時に祖父が亡くなり、喪失感に襲われ、一年間、誰とも会いたくない時期を過ごしました。
その時期に、仏教の教えに触れ、出会うことにも別れることにも意味があると学び、仏教を伝えることを仕事にしたいと決めました。
プログラミングが得意で、PCを組み上げるのが好き
ゲーム好き
そのためお寺には、パソコンが壊れた、タブレットの使い方が分からない、といった相談もくる。
生きることは死につながっています。
死ぬことを考えることは生きることです。
人はいずれ死ななければなりません。
人生最後の時に自らの人生を振り返って良かったと言えるかそれともため息で終わってしまうのか、それは大きな違いです。
死の時だけでなく、今現在が幸福と感じているなら、過去の問題も良い思い出として語れるでしょう。
けれど今が苦しい状況にあれば、
過去の問題は後悔の種となっているのではないでしょうか?
過去は変わりませんが、過去の意味は、今によって変わるのです。
人生最後の瞬間が、死の瞬間です。
その時、満足のいく死を迎えるということは、人生を満足のいくものにするために
大切なものです。
これを仏教では、後生の一大事と言います。
死を考えるということは、生きる意味を考えるということです。
すべての命には、尊い意味があります。
その意味を見つけるお手伝いを、善通寺ではさせていただいています。
「はぐくまれた命を共に生きる」をスローガンに、出会いと別れの意味を、ご一緒に
考えていきたいと思います。