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お盆には、亡くなった人が帰ってくると言われることがあります。
これは、仏説盂蘭盆経の目連尊者が餓鬼道から母親を救おうとした話に由来しています。
しかし浄土真宗では、死を終わりとはとらえません。
そのため、お盆の時だけ、亡くなった方が帰ってくるとは言いません。
古来より死に対する考え方は様々です。
ですがその多くは、死は、忌むべきもの、消えてなくなるもの、悪いものという考え方が殆どです。
それに対して仏教では、死にも意味があると考えます。
それは、すべての生命を超えた存在、仏様になっていくという意味です。
その仏様になるための、成長の場として、この人生が与えられていると見るのです。
そのように、人生を見つめたとき、出会いは、私たちを育ててくれる大切なご縁であり、そして、いつまでもそばにいるわけはなく、別れることによって、受け継いだものを実践していく機会をいただくのです。
そうしたことにより、出会いにも別れにも意味がある人生が恵まれます。
私を育ててくださった方は、いつでも私を見守っていて下さるのです。
例えば、何も知らない子どもは、自分を守ってくれる人を見て育ちます。
そしてその方がいなくなっても、その方に託されたものは、その子の言動として、いつまでも残っていくのです。
その方と別れればこそ、その方のことを本当に理解するということさえあります。
伝えられたものを語るとき、それを伝えてくださった方と共に、お話ししているのです。
人は出会い、別れて下さったご縁と共に生きているのです。
ですから、私を大切に思ってくれた人は、亡くなられても、常に私と一緒にいてくださるのです。
ですが、普段の生活の中で、それを思い出すことはないかもしれません。
だからこそ、お盆と日にちを決めて、私を育てて下さった方々へ、感謝の思いでお墓参りをすることが大切なのではないのでしょうか。